きゃまきのブログ

アウトドア好き陰キャがライフログ残すだけ

「はなまるスキップ」と現代社会

※※※思想マシマシ拡大解釈妄言オオメ※※※

 

 4コマオブザイヤー新刊部門5位にもランクインした人気作「はなまるスキップ」。まんがタイムきららコンテクストを悪用した治安の悪い新感覚ギャグが話題となったが、2巻の内容はマイノリティコミュニティでの日常、友情が主体となっており、メタ・メタ的にまんがタイムきららイメージに立ち返ったものとなっている。くしくも連載は終了してしまったものの、最終巻発売LINEスタンプが発売されたり、有償(約¥4,000)のアクリルスタンド特典版が出たりと、少なくないファンがついていることは疑いようがないだろう。かくいう私も、リーフレット得点だけでは飽き足らずサイン本にも募集した一人である。

サイン本。要は自慢。

 

 なぜか一巻発売時に記事を書いていなかったのでせめてここで残しておこうと思う。優秀な総括記事は他で出ているようなので、思想強めの総括記事を出力することを心掛けたい(心掛けるな)。本作はブルジョワキャラやぐう聖委員長、そのファンのパンピ等ステレオタイプ化されたデフォルメキャラで構成されている。私はそれぞれを通して主張したいメッセージがあると感じたため、各キャラ毎に述べていこう。

 

  • シェフ子


 料理系有名インフルエンサーJKである彼女は現実世界では周囲から孤立しておりテストも常に32点。現代のSNSの普及により生じた承認欲求モンスターである。そんな彼女も巻き込まれであるが星見はるに誘われピクニック同好会(以下ピ同)に所属。そこでは散々な目にしか合ってないように我々には映るが、料理部対決の際に明かしたように彼女は現実の学校生活は楽しいものへと変わったと言う。二巻お月見回では「誰かと喜んだり楽しんだりすることの大切さを知ったの」といいさらに幽霊騒ぎが起きた時には「参加者を守らなくちゃ」とまで行動している。単なる人気インスタグラマーにせず料理という視覚情報だけでは本来伝わらない要素を加えたことで現実世界でのリンクの重要性を高めた手法は、ネット時代の人間関係のあり方に問題提起を出す巧みな試みだと思った。
 そのお月見会に乗じた部員増加を狙う企みは橋倉先生の妨害により叶わないも、個人単位の歩み寄りだけではなくマイノリティサークルであるピ同を超えて拡張された歩み寄りを狙うシェフ子の成長を存分に感じさせるものであった。さらに同じサブタイ「頑張れ!シェフ子ちゃん!」を使いまわしている最終話では調理師の専門学校に行く旨を伝え、栄養や味についても勉強したいと述べている。唯一明確な成し遂げたい"希望"をつかんでいる彼女から学ばなければならないところは多数あるのではないだろうか。

 

  • 赤井るあ

 ぐう聖委員長藤原あやめの追っかけ。ピ同のなかでは可愛げあるキャラに見えるも同級生のインスタにアンチコメ連投と冷静に考えればヤバいタイプの人種である。ところで、アイドル文化といいVTuber文化といい日本人は他者にすべてを捧げようとする傾向強くない?なにか理由あるのだろうか。
 さて委員長のファンのパンピである彼女は、実世界で委員長とかかわりあえるはずなのだが、中学時代からちゃんと話せず、何が趣味か等もよく知らない状況。研究生として面倒ごとに巻き込まれても星見はるに後押しされる形で自分の意思でプレゼントを選んだりバレンタインチョコを渡したりと少しずつ変わっていく。ピ同メンバーの中では一番わかりやすいキャラなのではないだろうか。「推し」という言葉は広く一般的に用いられるようになったが、ネトストから住居の特定をする等危うい人も思ったより少なくない。その熱意自体はともかく猪突猛進っぷりに対して、「その人がどういう人か」というような相手を理解し思いやれる部分の重要さを持つべきだという部分が主張したかった部分なのだと思う。
 委員長への"ときめき"を形にして一歩踏み超えた彼女。最後のサブタイが「で君はなんなん」だが、学年二位の委員長と同じ大学に行くぐらい勉強に取り組めるのだからその先で何か見つけるかもしれない。日本の大学進学なんてもっと理由ないやつはいくらでもいる。小川めぐりの「別のアイデンティティが見つかるといい」というのは単なる悪口ではなく彼女の更なる成長を願ってのことだろう。私も切に願うばかりである。

 

  • 小川めぐり


 2巻の主役は彼女であるといっても過言ではないだろう。あれだけ暴言を繰り返してきた彼女にいい意味で破壊されることと予言できた人はいるのだろうか。witter見てるとなんか結構いた気がするな。先見の明ありすぎだろ。
 小さいころから病弱でありコミュニケーション能力が不足していた彼女は学校生活やイベント事に対し酸っぱい葡萄で毒を吐くという悪循環に陥っていた。中学では一時期偶然にてグループに入るも、そこでの成功体験を「お金を払うことが自分の役割だ」と解釈してしまい、さらに決済できない(役割遂行できない)タイミングでの誤解によりグループとも疎遠気味になってしまう。これらの経験を経て小川めぐりは何かしらの役割を提供しなければならないというポケモンの役割理論に毒された思考と酸っぱい葡萄で毒を吐く癖を身につけたモンスターとなった。星見はるやピ同の面々と関わる中でもその意識は完全には抜けきらず今回の親の事業失敗により離別を決意するも、本心をさらけ出しピ同と向き合う中で人間関係は利害関係だけで構成されていないことに気づけた彼女。
 さて、ここまでは現代きらら的な良いエピソード、という一般的な感想であるが、ふと疑問に思ったことがある。役割理論大好きポケモン脳になった経緯はわかるが、何故作者は数ある役割の中でもお金を払うという役割を持たせたのだろうか。金持ちキャラがいると話を動かしやすいから?嫌味なキャラのステレオタイプ的なイメージを想起させやすいから?それもあるだろうが本作の世界観を考えるともう一つ注目すべき点があるように感じた。
 本作内部の世界は資本主義世界であることが強調されている。サブタイやセリフに資本主義、資産運用等の単語が頻出するし、何より小川めぐりの好きな言葉が資本主義である。しかし、本作は非体制側のマイノリティにスポットライトを当てた作品である。体制を助長する側の小川めぐりがこの役割をになったのはなぜなのか。
 私はよりよい社会を作っていくには資本家サイドと労働者サイド互いが歩み寄る必要があると警鐘を鳴らしたかったのではないかと考える。資本主義システムに内包される格差の拡大はとどまるところを知らず新自由主義により更なる加速が進んでいる。これが進むとどうなるのか、それをIFの世界で描いたのがVR回であろう。潤沢な資金によるピ同の支配がもたらしたのは圧政からの脱却を望む革命であった。

『はなまるスキップ』(著:みくるん)第2巻27ページより

 

ウィジェーヌ・ドラクロワ民衆を導く自由の女神1830年
259cm X 325cm パリ、ルーブル美術館蔵 
画像元: https://ja.wikipedia.org/wiki/民衆を導く自由の女神 より


 本編でパロディされたこの絵はフランス七月革命を主題として書いた作品のため、ブルジョア王政を打ち立てた革命の絵でブルジョアジー打倒を打ち立てているところが痛烈な皮肉である。わざわざこの絵から比較的目立つ「ブルジョワ階級を表しているといわれているらしいシルクハットのマスケット銃を持った人」を省いているあたり、作者も意識はしているのではないだろうか。この荒廃した社会、先のない未来からの脱却を図るにはどうすればよいのか。それは本編のエピソードのように両者の歩み寄りである。資本家は勿論、私のような労働者サイドも「酸っぱい葡萄」で過度に他者を拒絶することなく受け入れようとする姿勢を持たなければならないのではないか、そういった感覚を抱かずにはいられなかった。コミュニティ形成、歩み寄りの重要さの主張自体は特段新規性が見られるものではないが、現実世界とも半ば融合したメタ・メタきらら世界で主張することで我々に強い印象づけを与えることができたのではないだろうか。メタきららを巧みに用いた構造がもたらした効果といえるだろう。この構造を用いれば、小川めぐりに対してGDPでマウントを取る橘セイラの話を国家間人種間の歩み寄りにまでつなげて掘り下げたりすることすらできたのではないかとすら感じている。"勇気"をもって既存体制からの脱却を求めた彼女の姿勢から学べることが我々にもあるのではないだろうか。

 

  • 星見はる


 一巻ではテストで一夜漬けで満点を取ったり、有名スピーチを引用し言葉巧みに生徒を誘導したりと、これまでは圧倒的カリスマを持つ主人公属性を発揮していた彼女。しかしながらその素顔というか本心は意外なものであった。彼女は子供のころ転勤族の娘であり、小さなころから人との別れを経験しすぎていた過去を持つ。その中でピ同のメンバーですら期間限定の仲と割り切るような諦観を持つようになった。彼女は仲良くなりたいためではなく嫌われないように他者を全肯定していただけなのだ。しかし、これまでと違い期間が長かったこともあるのか、ピ同と過ごした日々は彼女にとって大切な思い出となっていた。メンバーそれぞれに対し打算的な意図でかかわっていたとしても、彼女たちは助けられたと感じたのだ。「いいんじゃない別にさ 何でもないことで人生が変わる人もいれば それだけやって何も変わらない人がいたって」これは別のきらら漫画のセリフだが世間も存外そんなものである。ただし、危うさは多分にはらんでいる点は注意する必要がある。民衆やピ同がカリスマ性を見出した彼女の内心が明かされた時の私は震えあがっていた。というのも『ザ・ワールド・イズ・マイン』という有害図書道徳の教科書漫画を思い出したからだ。もちろんかなり大げさな反応であることは認める。ただあれほど極端な展開にはならなくとも、勘違いした先がどのようなものになるのかをしっかりと想像できないことには凄惨な未来が待ちうる可能性があることを常に自省する必要はある。「吐き気がするほど人間のスタンダード」である私含む多くの人としてはなおさらである。

 脱線したが彼女たちは初めて自分の言葉で話した星見はるに恨み言をいうことなく「はるちゃんの言葉は届いたわ」「自分と向き合えるようになった」「困ったときはすぐ相談して」と伝えた。自分の言葉でしゃべるのは結構怖いものである。自分は何歳になっても苦手だ。こんな妄言を書き連ねていて何をと思うかもしれないがこの記事も結構頑張っているのである。まあ私のことは放っておくにしても、社会性動物である人が他者を信用せずに生き抜くことは想像以上に修羅の道である。というか実際は見えてないところで恩恵を受けているだけでどこかでボロが出るだろう。卒業スピーチである意味ギリギリ彼女は間に合った形と言っていいだろう。さらに彼女は自分の"夢"をピ同に語り物話は終わる。どのようなものになるのかは分からないが壁を壊した彼女はどんな困難も乗り越えていくことだろう。

 

  • 全体を通して

 何度も述べるが本作はメタきらら系作品である。本作ではきららでこれまであまりなかったブラックジョークがふんだんに詰め込まれている。ブラックジョークは基本現実を考慮した上でしか成り立たない性質を持つのでこれだけでもメタ的だ。しかしこの作品はギャグとして現実の法律の話を持ち出すことが多い。このことにより現代の法律下で成り立っていることも同時にアピールしている。よく本作を紹介する表現として「治安の悪いきらら」「不条理ギャグ」「無法地帯」が用いられている印象だが、私としては最後の一つは不適切と感じている。ピ同の活動を制限できるのは基本的には法なのだ。星見はるは公職選挙法違反で生徒会長になれなかったし、赤井るあが会長パネルを破壊した鳥を捕まえようとしたときは(その意思自体は否定されず)鳥獣保護法に引っかかると警告した。校則レベルではアイ研は部費の使い込みで同好会に格下げされたし、部員はあくまで五人以上というルールがずっと適用されている。あくまで法治国家のルールに基づいて成り立っている世界なのだ。少し脱線したが、要はこの作品の世界観は現実世界の世界観と一致しているということである。ここまで踏まえてこの作品が新しく思えた理由を考えると次のような理由からではないだろうか。写実的な作品で現実世界を描こうとする試みは多数見られるも、メタ構造を取り入れいかにもなデフォルメされたキャラにより再構築された世界で表現しようとしたことである。キャッチコピーの「かわいいキャラに騙されるな!!」は「かわいいキャラが過激な行動をとること」だけでなく、「かわいいキャラが生息するような理想郷ではなくあくまで現実世界に生きる人間であること」ということも表しているのではないだろうか。JKの会話以外を徹底的にそぎ落とし日常を描く『ゆゆ式』、魔族魔法少女モノという我々から見たら非日常の中の日常を見せてくれる『まちカドまぞく』等きららパラダイムは変化してきているがそこに新たな一石を投じた作品だったであろう。しかし、ただきららコンテクストを利用しただけではない。あくまできららの道のりにはしっかりと乗っかっている。各キャラにはキーワードとなるセリフがある。上記の""で囲われた部分を見ていただきたい。

 

シェフ子…"希望"
赤井るあ…"ときめき"
小川めぐり…"勇気"
星見はる…"夢"


 誰が何と言おうとこの四つである。そう、この四つの言葉は「まんがタイムきらら」創刊時に掲げられた「読者に希望や夢や勇気やときめきといった“輝かしいもの”を届ける雑誌でありたい」という気持ちを象徴するものなのだ。あくまでまんがタイムきららのコンセプトを忠実に実行した作品なのである。さらにこの四つを英語に直し並び変えると…
希望…wish 勇気…plucky ときめき…palpitation 夢…dream


→HANAMARU SKIP wlcyplpittiod

 

『TOUGH外伝 龍を継ぐ男』(著:猿渡哲也)より。すぐ語録を使いたがる。

 きらら⇔はなまるスキップの循環が示されているのだ!きららの民は循環が大好きである。きらら作家も含め大体みんなスタァライトが好きなところからも自明であろう。きららとの連続性をアピールしつつ平成末期~令和のトレンドまで織り込んでしまった手腕には脱帽するしかない。
 素直にさらけ出すことも主張している本作の告知が「次回作にご期待ください」なので次回作の意欲はあるのではないかと考えられる。「現実世界の作者都合等なにかとあるので、次回作は外野の私がやたらめったら要求することではない」というのが個人的なスタンスなのだが、次が出るなら期待しかないということは主張したい。数少ないできることである「モノを買う」、「ちゃんと感想を出力する」だけはきっちりやって次回作をぽかぽかしながら待つ所存である。